大漁未来主義-絵
散ればこそ いとど桜はめでたけれ 憂き世になにか久しかるべき
桜は惜しまれて散るからこそ素晴らしいのです。この世に永遠なるものは何もないのだから。
(読み人知らず、在原業平・古今和歌集・伊勢物語第八十二段の和歌に対する反歌)
桜に対する私の結論は、人は、桜のおぞましさに薄々気づいているんじゃないか、ということ。
おぞましさも含めて「美しい」と愛でている。だから、満開の桜の下でお花見をする輩はクソで嘘なのだろう。それは本質が見えていないという意味ではなく、華やかで楽しげに見せているのは嘘だ、と、そういうことなのだ。
そう考えると坂口安吾の小説『桜の森の満開の下』に出てくる主人公は、とても純粋な人なんだと思う。桜のおぞましさに気づきつつ、それを誤魔化せない。
純粋に惹かれ、取り憑かれ、気違え、そして消えていった。
今回、私は絵を描く。
どんな絵かは、見に来ていただければおわかりいただけると思うのだが、特に「美しさ」についてはよく考えて描くつもりだ。
見えないものを描く。そういう感じになる予定である。
2018.04.01 横山 奈穂子